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ブラジル旅行記

       

欲しい原石が手に入らない    

以前は主に香港で原石を購入していた。私の欲しい石がなかなか手に入らない。とにかく色のきれいな石が欲しい。香港で買える石は、中国の大量生産に向く、とにかく価格の安い石、もう一つは透明なファセットカット用の原石、と大きく分けて2種類である。安い石はきれいな石が少なく、ヌキで買うのも難しい。クリアなファセット用の石は色の良いものは値段が高くて使えない。クリアで価格の比較的安い石は色が良くない。ブラジルの大手原石業者の香港駐在スタッフに聞いたら、「貴方が必要とする原石は確かにある。香港に輸入することが難しいのは、値段が高すぎて大量生産に向かないし、十分クリーンでないとファセット研磨業者は買わない。量がまとまるならブラジルから入れますよ。」との答 え。

中国の友人のアイデアも試した。高品質の研磨業者から難ありの石を分けてもらうのである。残念ながら欲しい種類の石に巡り合う機会が少なく、石の確保は難しい。もう一つは安い原石を大量に使う工場の半製品から少量の良品を抜かせてもらい、リカットする方法である。ある工場の社長は快く応じてくれたものの、「生産の度に工場まで来てもらえますか。穴をあける前に気にいった石を抜いていいですよ」、「ん〜」その度に工場に行くのは無理な話である。

その後、足回りの良いブラジルの小さな会社から原石を直接輸入することになった。高価な石は少量でも探してもらえるものの、私の欲しい石の入手は難しい。香港で落ち合って話をするうちブラジルで6月末に開かれる原石ショウの話題が出た。いろいろなタイプの原石を見ることができるらしい。もしブラジルに行ったら鉱山も見せてくれるか?と聞いたら社交辞令の答えが返る。時間が経つにつれてブラジルの展示会や鉱山を見てみたい気持ちが強くなり、尻込みする彼のメールを気にせずブラジル行きを決めた。

バラダレスの原石ショウに行く

             

6月28日午後7時過ぎ、成田からヒューズトン、サンパウロを経由してブラジルのベロオリゾンテ空港に着いた。ブラジル人のジュリオの出迎えの車に乗り、バラダレス市に向かう。英語が苦手な私にドライバーのジュリオはブラジル英語で話し続ける。時差ボケ・睡眠不足の頭はフル回転しなくてはいけない。ホテルに着いたのは夜中の2時過ぎ、日本の事務所を出てから実に50時間余りが経過、さすがに疲れた。 ホテルは混んでいて、ブラジル人のジェイソと相部屋だった。英語が通じないルームメイトと身振り手振りの共同生活が始まった。小さいホテルながらロビーには無線ランがあり、インターネットにつなげる、これは有難い。

翌2日目の朝、米国の研磨業者シーザーに連れられて現地の原石業者の事務所に行った。色の奇麗なピンクアメシスト原石見せてもらったが、残念ながら弊社の商品には向かない。その足で原石ショウの会場に向かう。入口を入るとすぐ広場があり、露天商のようなブースが並んでいた。屋根があるので少々の雨風には耐えるように出来ている。小規模な展示会場にがっかりしたが、気を取り直して会場を回る。原石のほかに彫刻品やカット石、シルバー製品も売られている。キロとハウマッチが何とか通じ、電卓で答えてくれるのは良いほうで、ほとんどの業者は英語を理解しない。歩き始めてしばらくすると人が寄ってきて何やら話し始めた。思わず鞄とカメラを握って警戒する私に構わず、彼が懐から取出したのはガーネット。原石を売り込に来たのだ。ブースが無くても商売していいの?確かに取締りをする係員もいない。透かして見るとファセットにするには決してクリーンではないものの赤味は悪くない。香港で見ない石である。数`あるらしい。この石は悪くないが、とりあえず保留

       

ルームメイトのジェイソに声を掛けられ、後について行くと3階建のメイン会場があった。パスポートを提出し、ウェブカメラで顔写真を撮られ、バッジを作る。国際的な展示会と同じく3x3mのブースが並び、買付け交渉が無ければちょうど半日〜1日でじっくり見ることが出来る程度の規模。入ったブースにはどこも英語の話せるスタッフがいた。メイン会場のコンベンションセンターは国際的な取引ができる業者で占められ、バッジのいらない広場は輸出能力のない小規模業者が出展しているようだ。私の首にかけている入場者バッヂを見て、日本から来たのかと驚かれ、50時間かけてバラダレスまで来ました、と答えると一様に感動の表情でねぎらってもらえた。会場に日本人が来るのは珍しいらしい。インド系の入場者を頻繁に見かけたがアジア系の入場者には会わなかった。三泊三日の滞在中、散歩に2回出たがアジア系の住民を見なかった。ブラジルはマルチ人種と言われているが、エリアによって偏りがあるようだ。

夕方、広場の会場に戻るとまた別のブラジル人に声をかけられた。今度は会場外の自分の車まで来てくれと言っている。さすがに面識の無いブラジル人と会場の外に出るのは躊躇した。ジェイソの知人と分り、彼の車まで行った。トランクを開けるとインペリアルトパーズ原石がナイロン・麻袋に4袋ほど詰め込まれていた。品質別に分けられているものの、外はすでに夕闇、石の品質は見えない。翌日の再会を決めてその日は会場を 後にした。

         

3日目の朝、まずアクアマリンの事務所を見に行く。置物用の巨大なアクアマリン原石は圧巻、加工用のしっかりした青味のミルキィアクア、アクアマリンはきれいの一言、この事務所でも近年の原石不足、価格高騰が話題になっていた。もう一軒立寄った事務所には素晴らしいローズクオーツがあった。これほど色が濃く、透明感のあるローズクオーツをこれまで見たことがない。午後からまた会場に行く。会場をもう一度回り、アクアマリン、トルマリン、インペリアルトパーズ、ガーネット等々10種類近くの原石を購入した。

        

 パドレパライソ、閉山直前のアクアマリン鉱山に入る

4日目は、バラダレス市内のレモンクオーツ、コニャッククオーツの事務所をそれぞれ回る。処理石とは言っても処理可能な原石はごく一部の鉱山のものに限られ、価格も安くない。ブラジルでも原石不足が深刻になり、懸命に新しい鉱山や原石を探している。

午後、バラダレスを出発、私とジュリオ、シーザー、ジェイソの4人で車の旅が始まる。その日はテオフィーロ・オトーニのモーテルで1泊、翌5日目の午前中、パドレパライソのアクアマリン鉱山に立ち寄る。ジュリオによるとこのエリアの原石はすでに枯渇した。それでも鉱山に行ってみるとまだ作業を続けていた。鉱道の土を洗うとわずかにアクアマリン原石が出てくる。石を見せてもらったが商品価値は低い。この鉱山のオーナーはもう一度鉱脈に突き当たる可能性を捨てきれず掘り続けていた。

             

ブラジーノのアメジスト鉱山に入る

パドレパライソを後にして車の旅が続く。車窓の外は原野、そして原野、途中小さな町を通り過ぎるが、生活水準は高いとはいえない。中国の田舎町と同程度の印象。夜9時過、アメシスト鉱山のあるブラジーノに着いた、バラダレスから車で合計17時間余の旅。町に入る手前で馬に乗った男女数人のグループが車の脇を走り抜けるのにはビックリ。ブラジルで歩行者優先のマナーを感じなかったが、この町は走行馬優先である。町に入っても馬が車を止めて闊歩している。やっと夕食に入ったレストランバーは満席状態。またしてもピザか牛肉のシュラスコと豆。

6日目の朝、皆まだ寝ている。朝食後一人で散歩に出た。半袖で外に出ると山は肌寒い。建物を見る限りこの街はとても豊かだ。騎馬を撮ろうとデジカメを持って行ったが、馬は全く通らない。昨夜の人々は近郊から飲みに来ていたのかも知れない。グループで通学する子供たちがカメラを持った私を珍しそうに見る。この街もアジア系の人種がいないらしい。ボンジア!と挨拶すると笑顔が返ってきた。道路の馬糞を清掃していた掃除婦たちにカメラを向けると、やはり笑顔、この小さな町(村?)の人々はとても人懐こい。

        

ジープに乗って鉱山に向かう。赤土の道は土埃がひどい。後部座席は横向きで背もたれが無く、手摺を強く握らないと飛ばされる。かなりの凸凹道だ。雨が降ったら街乗りの4駆では苦戦しそうだ。途中で騎乗の人たちとすれ違った、馬が必要なわけだ。1時間半ほど走ってアメジスト鉱山に着いた。鉱道の入口の前に着くと、ジュリオがまた確認する、本当に入るのか?怖くないのか?その時になって分かったのはジュリオもシーザーも本格的な鉱山に一度も入ったことがなく、入口を前にして躊躇しているらしい。もちろん入ります、と言う私の一言で全員が坑道に入る。

坑道はアリの巣のように続く。しばらく歩くと壁、天井にアメシストの鉱床が見える。とても蒸し暑く、カメラのレンズが曇って撮影できない。大柄なブラジル人たちが肌脱ぎで作業している。坂になっていた岩盤の表面には泥水が流れ、滑って危ない。カメラを持ちながら歩くのは困難、次回はトレッキングシューズを持参したい。初め怖がっていたジュリオ達はアメシスト鉱床を見つける毎に足が速くなる。次第にはしゃぎ始め、夢中になって歩いており、カメラ片手に手こずる私に構わず案内人と奥へ入って行く。とうとうはぐれてしまった。途中大きな空間に出て見上げるとシーザーたちが10mほど上の坑道から私を呼んでいる。別の道に出てしまった。全員が初めて見る光景に感動し、満足感に溢れていた。私たちが出ると坑道は鉄の扉で閉じられた。工夫たちはいつの間にかランチに上がっていた。

       

坑道から車に戻ると午後1時を過ぎていた。ジープでブラジーノに戻り、遅めのランチをとる。よほど疲れたのかジュリオとシーザーが昼寝。夕方、アメシスト原石業者の事務所に行く。ブラジルのアメシストは色の淡いものが多いが、この事務所で見たアメジスト原石はしっかりした紫色、透明度も高い。

帰途、ブラジーノからサンパウロへ

日本に帰るには2日後の夜8時サンパウロ発の飛行機に乗らなければならない。ほかの3人はここから車で北上して別のエリアの原石を見に行く。これから先は単独行動だ。ジュリオの旅行プランは24時間の長距離バスでベロオリゾンテに戻り、そこからサンパウロに飛ぶ方法だ。24時間バスは辛そうだ。鉱山の事務所で見た地図には付近に飛行場のマークがあった。調べてみるとビクトリア・デ・コンキスタ空港から国内線を乗り継いでサンパウロに行ける。その方が楽なはずだ。その夜はブラジーノにもう一泊し、7日目の朝7時、バスターミナルからバスに乗る。切符売り場、車掌とも英語は出来ない。ジュリオに切符を買ってもらっている間、ポルトガル語のできる米国人のシーザーから、「私はビクトリア・デ・コンキスタで降ります」というポルトガル語を教わり、紙にカタカナでメモした。切符を買って帰ってきたブラジル人のジュリオに試してみると、通じるから大丈夫と皆で大笑い。バスに乗ってからは寝過ごしてはいけないのでとても緊張した。途中の景色はとにかく原野でほとんど変化がない。出る前は所要時間5時間と聞いていたが実際には6時間かかった。ビクトリア・デ・コンキスタのバス停に着きタクシーに乗ったが、運転手にエアポートと言っても通じない。サンパウロに行く言いながら手で飛行機が飛ぶゼスチャーをしたら分かってもらえた。ビクトリア・デ・コンキスタ空港とても小さく、キオスクしかない。2時間余り待ち、60〜70人乗りのプロペラ機に乗ってサルバドール空港で乗継。サルバドール空港はターミナルが2つあり、うろうろしているうちに搭乗時間になって大慌て。安全検査の列に並びながら近くの係員にボーディングパスを見せ、急いでいるといったら答えはノープロブラム。ブラジルの国内線の遅れは慢性化しており、実は乗継便も1時間半遅れていたのだ。遅延を見越してぎりぎりの乗継を組んでいたのである。

          

サンパウロに着き、ゲートを出てみるとヒューストンから来た国際空港とは異なる国内線の空港だった。往路で見つけておいた観光案内でホテルを紹介してもらえる目算がはずれ、もう一度観光案内を探す。見つけた案内所ではホテルの斡旋はしてもらえず、分厚いホテルリストを渡され、自分で探せと言っている。リストにはエリアごとにホテル名と住所と電話番号だけが掲載されている。何を基準にすればいいのか分らない。ブラジルに来た際にサンパウロ市内で購入した携帯電話のチップが役に立った。最初、数軒の国際的なブランドホテルに電話したら、すべて一泊350ドル以上、高過ぎるので止め。とにかく空港から近く、市内の中心にあるホテルがいい。30件ほど電話番号をメモして電話をかける。電話したホテルの半分は英語が話せないので問題外。事情のわからない都市で安ホテルは不安があるので止めた。100ドル前後を目安にインターネット接続の有無を聞く。候補のホテルをいくつか選んで案内所の地図で場所を確認、やっとホテルが決まり、タクシーに乗ってホテルに入ったのは夜11時を過ぎていた。ブラジル最後の夜は人口1100万の大都市・サンパウロのど真ん中、金融街にあるビジネスホテル、付近の治安もいい。翌日8日目の夜、ニューヨーク行きのコンチネンタルに乗る。日本から出発して帰国するまでの12日間で体重が4キロ減少、ブラジルはもう二度と御免だと思う反面、来年はアバウトなブラジル人に任せず、目的地の名前と場所、ホテルと国内線を前もって良く調べて手配し、また来るつもりだ。

香港・中国の原石流通事情。

香港にはブラジル原石供給業者の支店、エージェント、香港人原石業者が多数あり、世界各地から集められた原石が販売されている。多数のインド人原石ブローカーも原石を携えて香港を訪れる。原石は香港を経由して中国国内の工場に運ばれ加工される。ブラジルの鉱山では閉山が続き、良質な半貴石の供給が減少しているためブラジルでも集荷力のある大手原石業者が支配力を強めており、一方中国では大手加工業者が大きな購買力を背景に原石の仕入を寡占化しようとしている。香港企業が世界各地の鉱山を山ごと買取ったという話を時々耳にする。数年前から危惧されてきた原石不足が現実となった今、原石の流通は再編が進むと予想される。小さな企業にとっては価格上昇という問題があるものの原石確保が出来なくなるとは考え難い。一定規模の大きな生産設備を持つ企業は、必要な原石の量の確保が難しくなることが予想され、その争奪戦が始まっているのである。中国では数百人規模の工場が多数あり、数千人規模の工場も珍しくない。原材料の確保は死活問題だ。近年の処理石、合成石の大幅増加は起こるべくして起きたのである。残念ながら結果として誤解を招く曖昧な表示や意図的に「天然」と錯覚させる表示を使った売買方法がこの情報化時代に日常化している。また、もう一方では中国内の鉱脈の開拓、採掘、原石の利用が急速に進んでいる。

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